1816年(文化12)好古堂初代中村又六、富山にて古美術骨董商を創業する。富山での美術商としての活動は続けられるが、2代目となる中村作次郎は16歳で富山を離れ、大阪へ美術商としての修業に出かける。そこで、当時28歳であった山中商会山中吉兵衛と深い親交を持ち、影響をうける。
1876年(明治9)作次郎は東京へ進出し、京橋1-10に新店舗開設し、
東京での美術商としての第一歩となる。東京での美術商としての商売は順調で、1900年(明治33)パリで開かれた万国博覧会へ農務省より欧米美術調査の依頼を受け派遣される。その時、パリにおいて富山の同郷である林忠正と親しくなり、日本の美術を広めようという氏の志に息統合することとなる。
1907年(明治40)美術品の展覧、陳列、貸席を行うための300人の美術商によって作られた会社組織、東京美術俱楽部の創設に尽力することとなる。1916年(大正5)麴町永田町に好古堂美術館を建設、翌年好古堂100周年が盛大の行われ、同年、英国皇太子 コンノート殿下が来臨され、好古堂美術館を見学された。
1921年(大正10)富次郎が作次郎の婿として養子に入り、好古堂3代目を継承する。富次郎は当時、好古堂が出入りしていた原三渓氏の美術品管理責任者であった。
1933年(昭和8)富次郎は東京美術俱楽部取締役に就任、のちに監査役も務める。
1948年(昭和23)貞次郎が好古堂4代目を継承する。
1967年(昭和42)当時顧客であった、五島慶太氏より依頼を受け、東急百貨店本店5階に中村好古堂画廊を開設する。
1992年(平成4)渋谷区南平台7-15に好古堂ギャラリーを開設する。翌年、純が好古堂5代目を継承する。
2022年(令和4)渋谷区南平台9-13-1に好古堂ギャラリーを移設。